映画館の向かいの百貨店の食堂で食べるクリームソーダ
お年寄りが好きだ。早く自分も年を取って、あの人たちの仲間に入りたいと思う。老人はわたしと同じ場所にいても、違う時代、違う時の流れに生きている気がする。
自分が羨ましいと思うお年寄りは、おしゃれをして徒歩か自転車でどこにも出かけてゆく。ネットは滅多に使わない。買い物のほとんどは実際にある店で済ませる。それも古くからある百貨店とか、百貨店の脇を抜けると現れる商店街の小さな店だ。
うすく光を通す五色に塗られた屋根の下には、色とりどりの魚が氷に漬けられている鮮魚店や、宝石のような野菜と果物が並ぶ青果店や、赤い電灯の下に揚げ物が並び、「馬肉あり〼要予約」と張り紙のしてある精肉店が並んでいる。それに、喫茶店ではなく茶葉と茶器を売るお茶屋、洋品店、履物屋、布団屋に飴屋に煎餅屋‥‥。
どこも潰れていないということは。商売をやってゆけるくらいの客の入りはあるのだろう。自分もいつかああした店に通いたい。魚を魚屋で、野菜を八百屋で、肉を肉屋で買う生活をしてみたい。仕事で忙しくてそんな余裕はないけれど、おばあさんになれば叶うような気がした。
今の自分ににできることは、休日に女友達に混じって冷やかし半分に古い百貨店に入り、食堂で昔ふうのデザートやランチを食べて、写真をSNSに上げ、互いにハートやスマイルのマークをつけあうくらいだ。
本当はそういうのは好きじゃない。かといって大嫌いだというわけでもない。友達と時間を共有するのは大切だと思う。それなりに楽しいとも思う。ただ、窓辺の席で、レースのブラウスに藍色の小花模様のスカートを合わせ、端末を弄る代わりに映画のパンフレットを読みながら、ひとりクリームソーダを愉しむ老婦人はなんてすてきなのかしらと思うだけだ。
百貨店の向かいには同じくらい古い映画館があるから、そこで映画を見た帰りなのだろう。自分も年を取ったらそうしたい。そんなことのできる老婦人になりたい。こんなふうに考えているのは、友達の中ではきっとわたしくらいだろう。
わたしは追い詰められていた。仕事はうまくいかなかった。したいことはさせてもらえず、かといって振られる仕事を上手くこなせるわけでもなかった。気が付くと、プライドばかり高い厄介者になっていた。
そんなことは自分自身、百も二百も承知していた。自立とか自己実現という使い古された言葉に憧れて、なのに力不足のせいで空回りばかりしていた。そんなふうだから、恋人と当然もうまくいかなかった。
彼はこんなわたしには申し分のない相手だった。問題は、彼がわたしと結婚したがっているということだった。普通に考えれば誠実さの証なのだが、自分にとっては負担以外の何物でもなかった。
それでも彼と別れることはできなかった。好きだというより惜しかったのだと思う。こちらは相手に何も返さず、ただ大切にされているという気持ちだけを味わい続けたかったのだ。
自分は最低な人間で、その最低な自分をきっぱり棄ててしまうこともできなかった。自分を狡さを利用して人生を愉しむこともできなかった。つまりわたしは最低なだけでなく、弱くて情けない人間でもあった。
その募集は、そんな自分が変わるための千載一遇のチャンスに思えた。
バーチャルへの移住者の募集が始まったのだ。
海外では既に実験的な移住が始まり、今のところ深刻なトラブルは報告されていなかった。精神は“向こう側”に転送され、肉体はこちら側で、生きている限り一定のケアを受けられることになっていた。
こちら側の身体が死ねば“向こう側”の自分も消滅する。でも将来は――十年以内には――肉体が死んでも、データとして保存された精神は“あちら側”で生き続けることができる。永遠の生の実現だ。もっともこれはオプションで、実際に永遠の命を得るにはそれなりの金額がかかりそうだった。
迷いはなかった。何より惹かれたのは、七種類あるワールドのひとつがレトロを売りにしていたことだった。取り寄せた資料の冒頭には『失われた日常を取り戻したいあなたに』とあった。
わたしは徹夜で資料を読み、翌日の昼休みにネットで申し込みをした。各種審査に合格すれば、半年後には新しい人生が始まることになっていた。
二週間後に審査合格の通知と案内が届いた。現実での人生が終わるのだから、普通の引っ越しの何倍もの手続きが必要だった。ネットなんてなければいいのにとことあるごとに考えている自分でも、この時ばかりはネットの普及に感謝した。紙の書類と窓口への日参と印鑑とサインの時代だったら、何年かかっても終わりそうにない量だった。
「ごめんなさい」手続きに奔走する合間に、わたしは部屋の鏡の前で繰り返した。「あなたが嫌いになったんじゃないの。ただ、こうなったらもう付き合い続けるのは無理だわ。わかるでしょ」
「いつ戻れるの」彼はそう返すだろう。数年くらいなら待つつもりでいるのだ。彼がわたしを追って肉体を捨てるなどありえないことに思えた。
「ずっとよ。一度向こうに行ったら戻れないの」
初めてのデートをした喫茶店で、彼にこの話をした。カフェではなく喫茶店だ。苔むした外壁には本物の蔦が絡み、小さなドアを開けるとベルがカラカラ鳴った。うす暗い店内には珈琲とカレーと、禁煙になって長いのに壁に染み付いて消えない煙草の匂いが漂っていた。グレイがかった窓越しに見る街は眠たげで、オレンジのライトの下では銀髪のマスターが丁寧に豆を挽いて珈琲を淹れていた。
自分の好みは恋人に影響されたものなのだ、とその時気づいた。元々おばあちゃん子だった彼は、十二の時に祖母と両親を一度に亡くしていた。ニュースになるほど大きな事故に巻き込まれたのだ。その後昔気質の祖父に育てられた彼は、未だに新聞を契約し、大手SNSのアカウントすら持たず、紙の辞書を引くような人だった。煙草を吸わないのが不思議なくらいだ。理想の人生を生きている人がすぐ手の届くところで俯いている。それでもわたしの決心は変わらなかった。
彼は、どうしてそんなことを勝手に決めたんだとも、絶対に別れたくないとも、そうか、よかったねとも言わなかった。ただ黙って席を立ち、二人分の支払いを済ませて店を出た。
わたしは自分の支払いで珈琲のお代わりを頼み、愛用の紙のスケジュール帳を開いた。こちら側での残りの週には細かな字で予定がびっしり書き込まれている。でも、“あちら側”での生活がいったいどんなものになるのかは見当もつかない。
“向こう側”でもこちらと同じように時間が流れているのだろうか。人は歳を取るのだろうか。子どもの生まれることはあるのだろうか。
時間が流れるなら人は老いてゆくはずだが、永遠の命が実現されれば年齢は二十歳くらいで止まるのだろうか。生まれた子供はすっかり向こう側の人間なのか、それともこちらから転送された人間が子どもとして生まれくるのか。サイトを開くと、『よくある質問』のコーナーに回答めいたものがあった。
Q 時間の流れはどうなっていますか
A お客様の意識の持ち方で変化します
Q 歳はとりますか
A お客様の意思でお好みの年齢を選ぶことができます
Q 子どもは生まれますか
A そのような人生を楽しむことはできますが、子どもは現現実の実態ではありません
現現実とは今、わたしたちが生きているバーチャルではない現実のことだ。
どうもはっきりしない。つまり、向こうでの生活とは極端にリアリティのある夢のようなものなのだろうか。
まだ不確かな点が多いのだ。だから格安で申し込みができ、代わりにデータの提供に応じることは契約書にも説明書にも繰り返し書かれていた。わたしたちは実験体で、それを承知で向こうで生きると決めたのだ。
それでもここまで分からないことばかりだと不安になった。もっとも、この程度の不安は新しい人生を諦める理由にはならなかった。
†††
ついにその日が来た。わたしはアパートの退去を済ませ、指定されたホテルに移った。自分の稼ぎでは一生泊まる気にもないような高級ホテルだった。こちら側での最後の日々になるのだから贅沢をしろということなのかもしれなかったが、豪勢な料理も大きすぎるベッドも、星のような光の散る青い石のバスタブも落ち着かなかった。
転送はあっけなかった。絶食をして胃と腸を空にしたあと液体の薬を飲み、点滴の管を入れられ、ベッドに横たわって意識を失い、次の瞬間にはもう“向こう側”にいた。
†††
わたしは子どもだった。黒い髪をおさげにして、目の覚めるような黄色の帽子をかぶり、真っ赤なランドセルを背負って、肩からは白い給食着袋を下げていた。
家は戸建ての二階屋で、ぴかぴかの青い瓦がのっていた。リビングとダイニングと両親の寝室と、仏間と子供部屋があった。畳敷きの仏間からは線香の匂いがした。
祖母と両親は布団を敷いて寝ていたが、わたしの部屋にはピンクのパイプベッドがあった。去年の誕生日にねだって買ってもらったものだ。棚付きの学習机には教科書とまあたらしい辞書が並んでいた。
わたしは友達と連れだって学校に行き、緑の黒板が壁一面を覆う、ごみごみとした教室で授業を受けた。先生は割れんばかりの大声で話し、バットで床を小突いたり、突然怖い話をはじめたり、子どもの態度が悪いといって職員室に帰ってしまったりした。わたしたちは負けずに大声で返事をし、バットを見てにやにや笑い、お話のお化けにきゃあきゃあと悲鳴を上げ、大人げない先生を職員室まで迎えに行った。
図書室では抜いた本のスペースに代本板を差し入れた。わたしの代本板は水色で、下に名前のシールが貼ってあった。表紙裏の紙ポケットのカードには、過去に貸し出された日付がずらりと並んでいた。記入された日付が多い本にあたると、こんなに人気があるならきっと面白い本だろうとわくわくしたし、自分の前の貸し出しが五年も前だと、これからクラスの誰も知らない物語を読むのだとどきどきした。
授業が終わってもすぐに家には戻らなかった。友達と一緒に暮れてゆく空を見ながら、校庭のブランコでたわいない話をした。一人乗りのブランコの太い鎖をねじり合わせて、くるくる回るのが好きだった。ブランコが回るたびに世界の裏と表がひっくり返るような気がした。
ひっくり返った校庭脇の、青々と茂る並木の間にたたずんでいる人がいた。最初は髪の長い女の人、二回目は背の高い男の人、三回目に見た時にはもう誰もいなかった。
家に帰ると宿題をして家族揃って夕食を食べた。家に一台しかないテレビは、わたしがまんがを見たいとねだらない限りはニュースか野球か時代劇を流していた。図書室で借りた本を読んだり、日記をつけたり、友達との交換ノートに返事を書いたりするともう寝る時間だ。ベッドの傍の窓から三日月が覗いていた。
休みの日は大抵友達と遊び、月に一度は家族で街に出掛けた。映画を見たあと百貨店の食堂でクリームソーダを食べるのがわたしのお気に入りだった。
「どうしていつもクリームソーダなの?」時折母はからかった。「ソフトクリームもプリンアラモードもあるのに。たまにはイギリス風サンドイッチを食べたら?」
自分でもわからなかった。ただずっと前、誰かが映画館に行って、そのあと百貨店の食堂でクリームソーダを食べるのを見て、羨ましいと思ったのだ。だけどそれがいつ、どこでのことだったのか思い出すことはできなかった。
わたしは短大を卒業して小さな会社に入った。計算機を叩いたり、電話を取り次いだり、伝言をメモしたり、男性社員にお茶を配ったりした。
来月にはお見合いをすることになっていた。「気に入らなければ断ってもいいんだよ」と父は言った。「見合いでなければ駄目だというものでもないし、もしお前がいいと思う人がいるならいつでも連れてきなさい」。
そんな人は特に見つかりそうになかった。正直にいえば結婚もしたくなかった。かといって、去年仕事を辞めて単身海外に渡った友人のように、どうしてもしたい仕事や叶えたい夢があるわけでもなかった。ただ忙しく立ち働いていたいのだ。そして休みの日には静かな場所で本を読んだり、ざわめきの中でクリームソーダを前にぼんやり過ごしたりしたいのだ。何にもとらわれず、なんの心配もせずに。
とらわれるって何にとらわれているんだろう。心配って何の心配だろう。
休みの日、家にいると電話があった。出ようとしたが取る寸前に切れてしまう。数分後にまた電話が鳴る。今度は間に合った。「もしもし?」と言うと、相手は誰かの名を呼んだ。女性の名だった。知らない名のはずなのに全身が震え、叩きつけるように受話器を置いた。
その夜すべてを思い出し、そして悟った。彼がわたしを追ってこの世界にやって来たのだ。
翌日わたしは首を吊った。わたしの願いはもっと遠くで、もっと自由になることだった。自由が無理ならいっそ無になることだった。こちらで死ねば現現実の自分の身体も死ぬのだろうか。そうであってほしいと思った。
†††
わたしは目を覚ました。病院の、ベッドの上に寝かされていた。両親が、そして彼が枕元で泣いていた。
きみはずっと意識を失っていたんだよ、と彼は言った。どれくらい? 三年と少しかな。
四年くらい前からおかしなことを言いだしてね、自分は国から選ばれて、特別な実験に参加するというんだ。それで僕に別れ話を切り出した。
あの日、気になってカフェに戻るときみが倒れて大騒ぎになっていた。カップから薬が検出されてね、お店にもずいぶん迷惑をかけたんだよ。
わたしはすべてを諦めた。彼と一緒にその後の人生を過ごすと決めた。
彼は申し分のない恋人から申し分のない夫に、父に、使われなくなって久しい言葉だが一家の大黒柱になった。
子どもはふたりだった。二人目の子が生まれるとわたしは仕事を辞め、いい妻に、いい母に、いい主婦になった。一度死んだせいだろうか。どんな不満も息苦しさも、耐えることはたやすかった。医師はわたしの病気は寛解したと請け合った。これから先はどんな精神科医もカウンセラーも信じるものかと心に誓い、わたしは病院を後にした。
子どもは文句なく育ち、巣立っていった。わたしは老いた。あの百貨店も映画館もとうになくなっていたが、祖父の時代の文化がブームになり、街の中心部に昔ふうの店が建ち始めた。
彼が彼岸に旅立ったのは七十二歳の冬の終わりだった。
四十九日を終えた翌週、わたしはレースのブラウスを着て洋品店でスカーフを買い、映画を見て、百貨店の食堂でクリームソーダを注文した。もう何にもとらわれることはなかった。夫にも子供にも家族にも。
ちがう、窓の外の街を眺めながらふいに気づいた。わたしが囚われていたのは、そんな器ではないのに大きなものに憧れていた自分自身だった。そんなわたしに彼は生きる目的をくれた。そしてわたしは、充分だったかどうかはともかくそれに応えた。
隣の席では今ふうのワンピースをまとった女の子たちが、キャンディや砂糖菓子で飾ったデザートを前に写真や動画を撮りあっていた。その中のひとりがしきりにこちらを気にしていた。
わたしは溶けかけたアイスクリームをゆっくり掬った。
だれかに愛され、なにかを成し遂げた喜びが、生まれて初めて心を満たした。
FIN
2024/04/19
Kohana S Iwana