眼鏡
初めて眼鏡をつけたのは十三歳の初夏だった。
本当は嫌で仕方がなかった。当時、眼鏡はいじめやからかいの原因のひとつだった。眼が悪いと言われることは、大袈裟に言えば死刑宣告に等しかった。だから眼の悪い子は、必死になって検眼表に並ぶ文字や、マークの向きや絵を覚えた。子供向きの検眼表には、動物のシルエットを使ったものがあった。
もっともわたしにはそこまでの根性はなかった。せいぜい眼を細めたり、見開いたり、ぎゅっと睨みつけるように力を入れたりするだけだ。よく見ようと焦るあまり、前かがみになって注意されたことも一度や二度ではない。
それでもついに、近視というものに屈服する日が来た。仮性近視ではなく近視である。小さいうちの仮性近視は治る場合もあるそうだが、自分はそのまま本式の近視に移行してしまったのだ(さだかではないがそう聞いた)。そのため眼鏡を作らなくてはならなくなった。
父に連れられ、渋々街の眼鏡屋に行った。看板に巨大な眼鏡が掛かっていて、夜になると虹色の光がくるくる、ちかちかと点滅するのだ。来たのが昼間でよかったと思った。
父はというと、所謂男親のデリカシーのなさからくるものなのか、それとも普段から若干身勝手さが目立つ性格のせいか、いやにうきうきしていた。今日は二本で割引のセールをやっているから、自分の替えの眼鏡も買おうというのだ。わたしはそんな父に絶望しながら、うす青い硝子の自動ドアをくぐった。
お決まりのグリーンの鉢と、金色のライトに照らし出されたガラスケースがわたしたちを迎えた。学校の集団検診で視力はちゃんと分かっているのに、念のためにもう一度検眼をしましょうと言われ、店の奥に案内された。父は既に銀や茶や黒い縁の眼鏡の列に張り付いている。
検眼師の資格を持つ店員は、父より十近く若い男性だった。顔は細くて額は広く、ゆるく巻いた色の薄い髪のせいで日本人離れして見えた。よく似合う銀ぶちの眼鏡をかけていた。細い棒や、片方の眼を隠す匙のような黒い道具を取り出す仕草は手品師を思わせた。
検眼表には文字と、八方のどこかが欠けた輪っかと、そしてシルエットが並んでいた。男性はひと通り輪を試し、次にシルエットを指し示した。
「ええと」わたしは焦り、口ごもった。「わかりません」
「ふむ、ではこれは?」
沈黙のあと首を傾げる。「わかりません」
「じゃあこれ」
「わかりません」
形が見えないのではない。そのシルエットが何を表しているのかがわからないのだ。それに、シルエットだけは上から下まで同じ大きさだった。こんなもので視力が測れるのだろうか。
最後に示された、下から二番目のしるしにわたしははっと声を上げた。
「それは〇〇です」しかし、そのとき自分の口をついて出た言葉がなんだったのか自分でも分からなかったし、次の瞬間には忘れてしまった。
「はい、おわり」と検眼師は微笑み、いつの間にかわたしの脇に立っていた父に言った。
「お嬢さんは独特の視力をお持ちですね」
「そうですか」父はなぜか嬉しそうだ。ということは、その独特の視力というものは病気ではないのだろう。
「この仕事を始めて百五十年になりますが(十五年の聞き間違いだろうと思った)、こんな方は見たことがありません」
「ええ、私もうすうす気づいてはいたんです。それでわざわざこちらに連れてきたのです」 父はいつになく重々しい声で答えた。「それで、今後の生活に支障はないのでしょうね」
「それは大丈夫です」検眼師のはっきりした口調にわたしは胸を撫でおろした。「普通の人と違うのは確かですが、違いはお嬢さんの特性でもありますからね。ただ、やはりこの点は気を付けて‥‥」
もう少し話があるからと父に追いやられたわたしは、『二本セール』とあるケースを端から端までじっくりと見て回った。こんなにたくさんの眼鏡を一度に見るのは初めてだった。ひとつひとつ、縁の色や太さも、レンズの形も違う。いいなと思ったのは銀のフレームに空色のつるのものと、全体が茶色で太いつるに花の模様がプリントされているものだった。
やがて、父と検眼師が話を終えてやってきた。ふたつの眼鏡を示すと、検眼師は丸い鏡の前でわたしに眼鏡を試着させ、あれこれ講釈を垂れたあとに空色のものを勧めた。ブルーのケースとレモン色の眼鏡拭きをつけてくれて、更に眼鏡の扱いについても丁寧に教えてくれた。びっくりしたのは、眼鏡というものは一日中掛けていなくてはならないということだった。
「最初は頭痛や眩暈がするかもしれません。とくにお嬢さんは眩暈が強いと思いますが、ともかく我慢してつけてください。一週間もすれば慣れますからね」
もっとも、慣れたあとはつけたいときだけでいいらしい。
「眼が矯正されてね、なしでもある程度は見えるようになる。もっとよく見たいときだけつければいいんだよ」帰りの車の中で父はそう説明した。そんな話は聞いたことがないと言おうとしたが、父の話は止まらなかった。「お父さんが初めて眼鏡を作った時のことを思い出すよ。あんまりよく見え過ぎて、三年後には薄い色つきのものを作る羽目になってね‥‥」
翌日、わたしは重い気持ちのまま、買ったばかりの眼鏡を掛けて学校に行った。幸いからかってくる子はひとりもいなかった。もしいたとしても、それどころではなかった。検眼師の言葉の通り、眩暈がひどかったのだ。
一日目は午前中だけで早退した。二日目はどうにか放課後まで学校に居られたが、体育の授業は休まなくてはならなかった。あまりに顔色が悪かったのか、普段は鬼女のような体育教師もさすがにこう声をかけた。
「辛いなら保健室で横になっていなさい」
大丈夫です、と答えたのはいい子ぶったからではない。立ち上がって保健室に行く気力もなかったのだ。そんな自分を心配して、クラスメイトが三人がかりでわたしを保健室に運んでくれた。
三日目にはどうにか授業を受けられるようになったが、家に帰ると疲れで倒れてしまう。さすがに母も心配しだした。
「ねえ」夜中にトイレに行くと、リビングのドアの隙間から、テレビの音と母の声が漏れ聞こえた。「あの眼鏡、度数が合っていないんじゃないの」
「いや、眼鏡屋は一週間といったから、もう三日待ってみよう。それでも駄目ならまた連れてゆくよ」
そして一週間目の朝が来た。土曜日で、学校は休みだった。わたしは律儀に眼鏡をかけて、自分の部屋の東向きの窓を開けた。
そのとき見たものは今も忘れられない。父があの日、あの眼鏡屋にわたしを連れて行ったのは正しかったのだ。
今も数年に一度、わたしはその眼鏡屋に通っている。看板は新しくなったが、あの検眼師は少しも歳を取る様子がなく、最初の日と変わらない手つきで眼鏡を調節してくれる。
「最近見え方はどうですか」もちろんこの質問は所謂視力についてのものではない。
「ずいぶん物騒になったわ。昨日は東の空が真っ赤に燃えていたし、遠い南では黒い煙が上がっていて、小さい生き物たちが一斉に北のほうに移動していった」
「かわいそうに。でも北だって似たようなものでしょう」
「ええ、父が死ぬ前に言っていたことを思い出すわ。これからはもっと酷くなるって」
「あの方の眼は未来のほうによく利きましたからね」
父は、わたしが未婚のまま五十五になった秋に他界した。晩年は珈琲色のサングラスを手放さなかった。
「外では外さないように‥‥特に今はサングラスを使わないと、精神が参ってしまいますよ」
「そうするわ」わたしは苔色のレンズに霞んだまがまがしい翼をもつものたちを思い浮かべた。
「もしもまた世の中が落ち着いたら‥‥」
「そのときは新しい眼鏡でまた矯正が必要ですね。お客さんの眼が一番よく働くように」
「早くその日が来るといいわ」
あの日の朝東の空を、世界を満たしていた美しい光の魔法を再び見たい。それが今の、老いたわたしの願いである。
FIN
Kohana S Iwana
2023/11/13~2024/08/09