カフェ

 草原に樹が一本そびえていた。
 大きな樹だ。きっと何百年もここにいて、あたりを見守ってきたのだろう。
 長い夏には固い草が膝近くまで伸び、短い冬には茶色く乾いた地面に枯れた草がしがみつく、そんな草原だった。思わず摘んでみたくなるような美しい花は見当たらなかった。時折褐色のウサギが草の間に短い耳を覗かせた。この草原のウサギは耳の先がざぎざで、人をひっかくことがあった。
 草原には道がひと筋通っていた。どこかに続くわけではない、ただ、褪せた原っぱを巡るだけの道だった。
 道沿いには大きな川と、青い湖と、そしてこの樹があった。わたしたちは道に沿って、徒歩で、押し車で、ガタガタの馬車で移動した。
 わたしたちは、季節や気分や、その時の都合に合わせて、川に住んだり、草原に住んだり、湖に住んだりした。川と湖では魚が釣れたし、草原では、特に秋には太ったウサギを捕まえることができた。川沿いの藪では春の終わりにイチゴが採れたし、湖をぐるりと取り巻く木々が落とす実をすり潰して、捏ねて焼けばなかなかおいしかった。だから、怠けず、文句を言わず、助け合えば飢え死にすることはなかった。
 誰かをいじめたり、さげすんだり、独り占めする人はいなかった。のこぎりや鉈や、すり鉢やのし棒を持っている人はみな、使いたい人にいつでも貸してあげたし、竈を作るのが得意な人は、困っている人を見ればずぐに石を積むのを手伝ってあげた。
 わたしの持ち物は大きな両手鍋だった。自分の頭がすっぽり入るほどの深い鍋で、まるまる太ったウサギでも、湖で釣れる一番大きな魚でも、そのまま煮ることができた。もっとも魚は焼くほうがずっとおいしかったから、鍋で煮るのはもっぱらウサギばかりだった。
 わたしの鍋と、ハルの作った竈と、誰かが集めてきてくれた小枝や乾いた草と、これだけは大抵の人が自分のものを持っている火打石を使ってゆっくりと煮たウサギは本当においしかった。わたしも欲しい人には誰にでもわけてあげた。
 わたしたちがこんなふうに助け合うのには理由があった。
 わたしの祖母がまだ若く、母が赤ん坊だった時に、大きな戦争があった。空から爆弾が降り注ぎ、何の罪もない人々が逃げまどった。ごく普通の家の玄関が突然破られ、銃を持った恐ろしい男たちが入ってきて、お年寄りも赤ん坊も構わず皆殺しにした。
 こうしたことは、あの国でもこの国でも起きた。絶対にそんなことはしなかったという国はひとつもなかった。
 戦争が終わってもしばらくの間、殺し合い、盗み合い、騙し合い、いたぶり合いが続いた。そうして世界は滅んでしまった。生き延びた人たちは、自分たちの過ちを生まれてくる子に言い聞かせた。その、言い聞かされて育った子がわたしたちだった。
 だから、わたしたちにとって一番大切なことは、けっして争わないことだった。少ないものを分け合い、快く人に譲ることだった。必要以上には決して欲しがらないことだった。なにより仲間にはぜったいに迷惑をかけないことだった。
 それがいいことだとか、幸せだとか、人のあるべき姿だとか、そんなたいそうなことは考えなかった。ただ、わたしたちはそう生きるように躾けられたし、そうしなければ生きてゆけなかったのだ。

 ある日、わたしは歩けなくなった。理由ははっきりしない。わたしはまだ若かったし、特に大きな怪我もしていない筈だった。
 わたしたちには時折こんなふうに、身体のどこかが突然使い物にならなくなることがあった。先の戦争で使われた兵器の、まき散らした恐ろしい毒がいたる処に残っていて、わたしたちの身体を蝕み、ふいにこんな病気を引き起こすのだといわれていた。戦争中や、戦争が終わって間もないころには同じ毒で、もっとたくさんの人が苦しみながら死んでいったのだと聞いた。
 脚がきかなくなったのは樹の下だった。どうしたわけか、みなこの樹の前で休もうとはしなかった。この樹には精霊が宿っているとか、魔法が閉じ込められているとかいう噂があった。その精霊だか魔法は人を幸せにするという人もいたし、人々を迷わせ、ふたたび戦争を引き起こすのだと言う人もいた。みな真実の一端を言っているようにも思えたし、好き勝手なことを言っているだけのようにも思えた。
 ともかくわたしはその樹の傍から動けなくなった。仲間たちはわたしの様子を見て取ると、軽く頭を下げて先へと歩いて行った。
 わたしは頷き返した。この病気は治らないとわかっていたから、助けを求めることはしなかった。わたしたちがいちばんよしとしないのは、他人に迷惑をかけることだ。普通の怪我や病気ならともかく、不治の病ではひとりで死んでゆくしかなかった。
 わたしは粗末な服と毛布を身に巻き付け、少しでも楽なように不自由な脚を伸ばした。
 病気自体で死ぬのではないのだろうと思った。この病気が進む前に冬が来るはずだった。ふつうならばどこかに冬を越すための小屋を、この数年はハルと一緒に作って、その中で春まで過ごすことになっていた。それができなければ凍えて死ぬしかなかった。
 いや、その前に、飢えか渇きで死ぬはずだ。わたし自身、そうした人を少なからず見てきたのだった。草原で死んだ人は腐る前に消えてしまう。ウサギが食べるのだとわたしたちは知っていた。
 自分もそうなるのだろうと思った。仲間のほうをなるべく見ないようにしたが、眼の合うことは避けられなかった。恨みはなかった。今の時代には仕方のないことだった。
 ハルがそっと近づき、わたしの膝になにか置いた。木の実をすり潰して焼いたパンと、数粒のいちごだった。
 更に数日後、釣りの得意なた友人が、まるまる一匹の魚をわたしの前にぶら下げた。
「ね」と彼女は言った。「わたし、一度煮た魚を食べてみたいと思っていたの」
 石は別の仲間が、自分も食べたいからと運んでくれた。わたしは竈づくりがハルの次に得意だった。火打石は持っていた。水は、別の誰かが支流から汲んできてくれた。
 わたしは樹の下から動かずに、魚を料理して皆に配った。煮た魚は柔らかくておいしかった。わたしたちは競うようにスープを飲んだ。
「今度はぼくが釣ってくるよ」と誰かが言った。「こんなにうまくて腹の温まるもの、初めて食べた」
 つぎはウサギだった。つぎは別の魚だった。ハルが大きな竈と立派な炉を作ってくれたから、煮るだけでなく、焼くこともあぶることもできるようになった。
 大魚をわたごと焼いてほしいと誰かが言った。大魚を丸ごと焼くのは時間がかかるので、誰もつくりたがらなかった。今のわたしには時間は有り余っていた。
 大魚の丸焼きは、みんなの大好物になった。

 空気が冷たくなった。冬が近づいていた。ハルは、冬越し小屋を樹の下に作ると決めた。 
 ちょうどわたしを囲むように石を積み、苦労して運んできた細い枝を使って屋根を編んだ。それでわたしは冬を越すことができた。
 樹の下はやがて人々が立ち止まり、座り、おしゃべりをするための場所になった。わたしを囲む家は少しずつ広く立派に、何人もの人が入って中で休めるほどになった。
 わたしたちは冬越し小屋を春が来ても壊さずにいたが、天気のいい日は外で過ごすと決めていた。わたしは横になって過ごす日が多くなった。ハルは毎日、日当たりのいい場所にわたしの寝床を作ってくれた。
「そういえばずっと前、ひいおばあちゃんが言っていたっけ」ある日の午後、ハルが言った。
「戦争前にはみんなが集まる場所があって、そこでは苦くて黒い飲み物が出て、他にもなにかうまいものが食べられたらい」
 ハルのひいおばあさんは、わたしの出会った中で一番の年寄りだった。あの戦争を生き延び、毒にも侵されず、この草原の掘っ立て小屋で眠るように死んだひとだ。最後まで自分の足で歩き、歯は生えそろい、頭もしっかりしていた。そして、倒れた人を見捨てることにはいつも反対していた。
 白湯を注いだ椀を揺らしながら、ハルはこう付け足した。「ここは、おれにはそんな処に見える」
 仲間のひとりが立ち止まった。
 たぶんその、ひいおばあさんから教わった言葉をハルは口にした。
「いらっしゃいませ」
 わたしがこの世で最後に耳にした言葉だった。


FIN
Kohana S Iwana
2023/11/20~20204/10/06