鍵
わたしとジョノは同い年で、誕生日もたった三日違いだった。
わたしたちは同じ町の同じ通りの、崩れかけた塀を挟んだ、よく似たつくりの建物で生まれ育った。わたしの寝室の窓は、彼の部屋の四角い窓とぴったり向かい合っていた。
小さいころからジョノは少し変わっていた。えんじ色の屋根の駅舎に一日二回列車の停まるひなびた町で、たぶんいちばん頭のいい子供だった。
といっても、話し上手なわけでも機転が利くわけでも、いかにも利発そうにはきはきと受け答えができるわけでもない。むしろジョノはその逆だった。声はこもって軽いどもり癖があり、何をさせてもおそろしく不器用だった。そのために叱られている間にさえ、あらぬ方を向いて考え込む癖があった。そんな彼は始終周囲の大人を苛立たせていた。
この町で、ジョノはどちらかというと馬鹿で役に立たずの嫌な子だった。ただ、学校の成績がとてもよかったのだ。
町には学校がひとつあった。かつては兵舎だったとも牢獄だったとも言われている、古い石造りの建物を利用したものだった。少しも学校らしくなかったけれど、そこでは町のすべての子が――裕福でなくても物覚えが悪くても、本人にまったくやる気がなくても――ひと通りの教育を受けられるようになっていた。
ジョノの頭の良さは抜きん出ていた。彼は他の男子のように、机の下で蛙やのねずみをつつくことはなかった。解答欄を適当に埋め、見返しもせず、傷だらけの机に落書きをすることもなかった。はにかみながら、幾度か見せてくれた答案用紙はすべての答えに赤い丸がついていた。
わたしの丸は大抵はふたつだった。ときにひとつだったり全部バツだったり、ごく稀に三つに増えることがあったが、四つ以上になることは決してなかった。
わたしはそれを恥ずかしいとは思わなかった。ああした勉強がいったい何の役に立つのか、全く理解できなかった。他の子たちも両親も、わたしと同じ考えだった。サインができて、簡単な計算ができればたいして困ることはない。手紙が来れば斜め前に住む字の読める年寄りに、返事を出したければ代筆屋に頼めばいい。学問とかいうよくわからない大層なものは、道もないほど建物のひしめく遠い街の、偉い学者さんに任せておけばいいのだった。
でも、そう考えない人が少なくともひとりいた。
わたしとジョノが十三の夏の終わりにやってきた、新しい先生だ。濃い金髪のまだうら若い女性だった。低い声はよく通り、長い紺色のスカートを見事にさばいて石畳の通りをきびきびと歩き回り、眼に入るすべての子どもに元気よく挨拶をした。
冷たい石の校舎で四十年間教えたせいですっかり髪がなくなり、リウマチになって田舎に帰った前の男性教師と彼女は、まったく正反対だった。新しい先生は、勉強のできない子をできないままにはしておかなかった。わたしたちの成績は少しも伸びなかったが、それに怒って鞭を持ち出すこともなかった。鞭にぶたれて育った親たちは驚き、今度の先生は悪い人ではないが、ずいぶん変わっていると囁きあった。