鍵 2

 新しい先生が町に来て、二年目の春の夕方だった。空はすみれ色にかすみ、町長の奥さんの丹精した花壇に泡のような黄色い花が咲いていた。
 お使いの帰りだった。その日も宿題が出ていたけれど、やる気などはなからなかった。お使いの後は家の手伝いがあり、手伝いが終われば夕食だった。夕食の後は母から刺繍のステッチを教わったり、やっと歩けるようになったばかりの弟の世話をしながら祖母の昔話を聞くことになっていた。
 先生がジョノの一家の暮らす建物に入ってゆくのを見たのは、まったくの偶然だった。わたしは足を止め、泥棒のように塀の陰に隠れて息を詰めた。その建物に、学校に通っている子はたしかジョノしかいなかった。
 先生は若草色の上着を着て、さくらんぼ色の石でできた髪飾りをつけていた。夕の陽を受けてきらめくピンクの花と、いつもより濃く思える彼女の化粧に、わたしの胸はあやしく騒いだ。
 若い女の先生は、仕事熱心で変わっているだけではなく、とてもきれいな人だった。放課後や休み時間、先生はジョノと大きな本を挟んで、熱心になにか話し込んでいた。そんなときジョノは俯き、細い唇に内気そうな微笑みを浮かべていた。
 そういえばわたしとジョノはもう何か月も、町はずれの野を一緒に歩き回ったり、市場のおばさんに貰った売れ残りの菓子を分け合ったりしていなかった。
 最後に彼の話に耳を傾けたのはいつのことだったろう。いつからわたしは学校からひとりで家に、まっすぐ帰るようになったのだろう。
 ジョノの声が好きだった。この町で、彼のどもりや不器用な仕草を馬鹿にしないのは、わたしだけのはずだった。
 その夜、わたしは寝付けなかった。ジョノも同じらしかったけれど、以前のように窓を開けて呼びかけることはできなかった。
 ついに眠気がおとずれた時も、彼の部屋には黄色い明りが灯っていた。