そのカプセルを見たとき、ぼくはある物語を思い出した。
 竹から生まれた美しい娘が求婚者たちをしりぞけ、月の世界へ帰ってしまう話だ。彼女は月の人だった。
 その話を初めて聞いたとき、ぼくはまだ本物の竹を見たことがなかった。恋や結婚は大人の世界のものだった。月はすでになかった。代わりに空には夜も昼も、ぼんやりとした虹色の輪が掛かっていた。

 まだ夜空に月が輝いていて、まるまる二十八日かけて痩せたり膨らんだりしていたころ、ぼくは家族と、丘の間に開かれた小さな町に住んでいた。はるばる都会から来た人が、時を何百年か遡ったと錯覚するような、のんびりした処だった。
 丘の向こうのそのまた向こう、世界の果てにも思われる処の出来事は、ドラマや映画と変わらないように思えた。飢餓も戦争も災害も、ぼくたちの住む町には関係のないことだったし、同じ星に住む仲間が次から次へとロケットを打ち上げ、ぼくが生まれるずっと前に別の星に移住していたなんて、いばらの城で眠り続けるお姫さまと同じくらいお伽話めいていた。
 ぼくたち家族の住む二階建ての家の近くには公園があった。あずまやや花壇や池の散らばる敷地の一角には、東洋の、竹ではなく笹が植えられていた。うす緑の、茎とも幹とも呼びがたい胴には昆虫を思わせる節があり、長い葉は風が吹くとさらさら鳴った。
 三歳下の妹は笹の音が好きだった。散歩や買い物の途中、あの、川のせせらぎか雨のような音が聞こえると足を止めた。「公園を抜けて帰ろうか」と訊くと、繋いだ手をぎゅっと握って頷いた。
 栗色の髪をした眼の大きい、無口な子だった。笹の音と、それからお話を聞くのが好きだった。

 竹の中で背の低いものを笹と呼ぶのだ。そう教えてれたのは、ぼくに竹から生まれた娘の物語を教えてくれた女の子だった。彼女は、竹のごく若い芽はとても美味しいのだとか、笹の葉を煎じたものは薬になるのだとか、洒落た店では竹の濃い緑の茎を食器として使うのだとか、そんな話も聞かせてくれた。
 月の人なのに地球の竹の中から生まれ、月に帰ってしまう娘の話は何度聞いても飽きなかった。妹にも聞かせてやりたかったが、家族もあの町の友達も近所の人も、この世のものではなくなっていた。家は潰れ、公園はねずみ色の更地になった。あの笹は根も残さずに焼き尽くされたにちがいなかった。
 そんな話は実は珍しくない時代だった。ぼくの町がたまたま幸運に恵まれて、最後の最後まで幸せな過去のかけらの中で微睡んでいただけだったのだ。
 女の子の話してくれた、竹の芽が採れるのどかな村も、笹の葉を煎じて飲んでいたお年寄りたちも、割った竹に生の魚を使った美しい料理を盛りつける店も、何年も前に失われていた。彼女は独りぼっちであちこちの国に受け入れられては投げ返され、ぼくの保護された施設にやっと落ち着くことができたのだった。