父の部屋 (中)
父がいなくなったあとも、わたしと母は住み慣れた小さな屋敷を離れなかった。当時のわたしは知らなかったが、父の残した財産や親族からの援助のおかげで暮らしに困ることはなかった。
父の魂が地上を離れるまでの十倍近い時間をかけて、わたしは父の死を理解し、受け入れていった。
父はある日発作を起こし、病院に運ばれたものの、治療の甲斐なくこの世の人ではなくなった。空が切り取られたあの広間に横たわっていたのは、他の誰でもない父その人だ。だからどれほど辛抱強く待っても、父がこの家に戻ることはないのだった。
わたしは決まった時間に起き、大人しい女の子の脚には充分に広い庭を散歩し、笑わなくなった母と向かい合って味気ない食事を摂った。古い香水の匂いのする家庭教師から読み書きと計算、地理に歴史を教わり、新しく雇った、まだ若い通いのお手伝いさんのイーヴが部屋に運んでくれるおやつを食べ、夜八時には床に就いた。
以前より頻繁に訪れるようになった親戚に行儀よく挨拶をし、父の姉から訊かれたことにはそつなく答えた。父の部屋にはあれ以来、一度も近づかなかった。
たまにイーヴがわたしを町に連れ出した。通りにずらりと並ぶ看板をかぞえ、レジスターのけたたましい音に合わせてつま先を動かし、カフェのテラスに座ってミルクで薄めた珈琲を飲むのは楽しかった。百貨店のウィンドウには何百年も前の女王さまが好んだ柄を取り入れた、最新流行のドレスが飾られていた。のっぺらぼうのトルソーが、こだまのような声でわたしに語りかけた。
「素敵でしょう。国が滅んでも私がレディであることに変わりはないわ」
その夜、自分自身が女王になる夢を見た。地の果てまで続く広間の床には紺碧の絨毯が敷き詰められ、銀河そっくりのシャンデリアが天井に描かれた星座を照らし出していた。星々の間に紛れ込む天使がわたしのために褒め歌をうたった。
†††
「姉さん、この子は普通の学校に入れるべきよ」
数年ぶりに帰国した叔母、母の実の妹は、挨拶もそこそこにこう言った。家の上にまるまる一週間雲がわだかまったままの、うす寒い秋の日だった。叔母の小麦色の肌からは、太陽と海と異国の獣の匂いがした。
赤っぽい巻き毛を耳が見えるほど短く刈った叔母は、普段は医師として海外を飛び回っていた。彼女の質問はどれもわたしには答えようのない、それどころか意味すら分からないものばかりだった。
「子どものうちに視野を広げておいたほうがいいわ。義兄さんだって生きていればそう言ったはずよ」
掃除のとき以外は触れられることすらない窓を開けて回りながら、叔母はそう繰り返し、鮮やかな刺繍の施されたブラウスと、紫に染めた繊維で織られた小銭入れと、チョコレートの袋と珈琲の包み、それに海の波に磨かれた石でつくられたお守りを置いて帰って行った。
服のサイズは母には小さく、わたしにはほんの少し大きかった。風変わりな小銭入れはわたしのものになった。母が外国のチョコレートは甘すぎるというので、これもわたしのおやつとなった。珈琲はイーヴがミルクで薄めて飲ませてくれた。叔母がわたしに握らせた、月にも猫にも花にも見える模様の刻まれたお守りは、イーヴが縫ってくれたベルベットの袋に収められた。
その後、親族の間でどんな話し合いがもたれたのかはわからないが、翌年の秋、わたしは町の子供たちの通う、叔母の所謂普通の学校に入学した。
†††
その普通の学校は、バスと徒歩とで半刻かかる処にあった。幾度も修復されたせいで石と煉瓦と木材のつぎはぎになった学び舎の屋根は、時と風雨で苔色に染まっていた。たくさんの足で踏み固められた校庭が広がり、グラウンドは花壇と木立を従えていた。
町で一番広い通りを挟んで役所が、役所の周りには歯医者と雑貨屋と、わたしには何を売っているのかも分からない店、それに昼間働く人たちが朝慌ただしく食事を摂り、仕事を終えた人たちが夜、油っぽい肉にかぶりつく食堂があった。洗濯屋の煙突からは絶えず細い煙が昇り、窓辺に花や猫や下着をちりばめた家々の向こうには、明るいエメラルド色の教会がそびえていた。
学校では男子も女子も同じ教室で勉強した。わたしは生まれて初めて見る、自分と同い歳の子の群れに圧倒され、まともに挨拶をすることもできなかった。
他の子たちはみな顔見知りで、互いに下の名か愛称で呼び合っていた。自分だけがいつまでも、「丘の向こうのお屋敷に住むお嬢さん」のままだった。
それでもわたしはあのお守りを忍ばせた鞄を下げ、イーヴに連れられ丘を歩いてひとり黄色いバスに乗り、学校に通い続けた。先生は優しく声をかけてくれたし、いじめられているというわけでもない。なにより、あの家に母と一緒に閉じ篭り、前触れもなしにやってくる伯母から説教をされ、さらにそのたび母の泣き言を聞かされるよりはずっと良かった。
そんなある日、教室に着いて上着を脱ぐと、隣りの席の女子がこう話しかけてきた。
「そのブラウス、すてきね」大きな眼をしたおさげの子だった。普段から高い声は、授業で指されて詩を読むときよりうわずっていた。「どこで買ったの?」
その日わたしが着ていたのは、ちょうどぴったりのサイズになったあの刺繍のブラウスだった。真っ青な羽根の小鳥が襟の上で紫の実を啄み、ピンクの花をちりばめた蔓がボタンを伝い、蝶とも花弁ともつかない黄色い雫が胸と裾に散っていた。
「おばさんからもらったの」
「おばさんって?」
こうしてわたしはクラスの子たちと話すようになった。皆、わたしと打ち解けるきっかけを探っていたのだ。
わたしは厳格に決められた額のお小遣いをもらい、予算に頭を悩ませながら、鮮やかな色のノートや、きらきら光る粉をちりばめた鉛筆や、果物やお菓子やミルクの匂いのする消しゴムを買うことを覚えた。そうした“華美で流行の”文具は授業での使用は禁止されていたから、夜、寝る前に日記をつけることにした。これもクラスの、主に女子たちの間の流行のひとつだった。うす水色のインクで猫や虹や童話めいた森のが描かれているページが、その日学校で起きたことで一枚ずつ埋まっていった。
授業中に回されるたわいないメモ、斜め後ろの男子の冗談に笑いすぎて反省文を書かされたこと。クラス対抗の球技大会で惜しくも優勝は逃したけれど、どうにか三位に食い込んで表彰されたこと。クラス中で貸し借りされる、大人が眉を顰めるような冒険物語や恋愛小説。誰かがオルガンで新しい映画のテーマ曲を弾いて先生が飛んできたこと。
友達の中にはわたしと同い年なのに、自分で簡単な菓子やパンを焼ける子もいた。そこまでは無理でも、サンドイッチくらいは皆作ることができた。わたしは友達から貰ったいびつなビスケットとイーヴが持たせてくれたサンドイッチを交換しながら、あの日、叔母が尋ねたことを思い返した。
友達はいるの? 好きな本は? 歌手は? 映画は? 将来の夢は? 最近楽しかったことは? 嫌だったことは?
今の自分はその半分には答えられると思った。
†††
母はいつもなにかに忙しそうだった。派手に着飾って出かけたと思えばふさぎこんで寝室に篭り、ふいに長い電話を掛け、わざわざリビングに辞書を持ち込んで手紙を書き、古い引き出しをひっくり返して、ため込んだドレスをどこかに寄付したりした。
どのみち母は、家のことには構わなかった。だからわたしは見とがめられる心配もなく、厨房に出入りしてイーヴからサンドイッチの作り方を教わり、たねを分けてもらって好きな形のクッキーや小さなパンを焼くことができた。
「お嬢さんの背がもう少し伸びて踏み台がいらなくなったら、ちゃんとした料理を教えて差し上げますよ」とイーヴは請け合った。「いざというとき、自分のお腹の面倒くらいは自分で見られるに越したことはないですからね。」
あのいかめしい父の姉は、ほとんど姿を見せなくなった。体調が悪いと聞いたが、子どものわたしには確かめようがなかったし、確かめる気も特になかった。そのせいか、それともよその町の寄宿学校に入ったり、仕事を始めたりで忙しいのか、いとこたちとも全く泊まりに来なくなった。
かつて夏至と冬至のたびに、年上の従兄姉たちが我が物顔で寝起きして、囁きあったり騒いだり、酒や煙草を持ち込んだり、幼いわたしを呼びつけて身の毛もよだつ話を聞かせた挙句、自分で戻れと暗い廊下に放り出した部屋べやも、今やすっかり締め切られていた。
彫り物を施した手すり付きの階段から、星を刻んだガラス窓の並ぶまっすぐな廊下から、古めかしいホテルのような客室から、父方の親戚たちのまとうあの、何十年もしまい込まれた外套のような匂いが薄れていった。わたしの心に根付いていた、暗い廊下に対する病的な恐怖も気にならないほどになった。闇に潜む名も知れぬ化け物や、たった一発で町ひとつ滅ぼしてしまう爆弾や、味も香りも色もなく、わずかな量で大勢の人をすみやかに死に至らしめる毒物や、そうして殺された人が泣き叫ぶ暗い森は、今や友達に話して聞かせるぞっとする話のひとつに過ぎなかった。
代わりにわたしが学校の友達づてに知ったこと、奇想天外な小説のあらすじや人気の歌のふしや、新しい髪の結い方などが少しずつ家に入り込んだ。わたしは二冊目の日記を書き、クリームの小鍋をかき回し、小さな額入りの女優の写真を部屋に飾った。学校に持ってゆくサンドイッチも自分で作るようになった。