永遠の人(後)

 手紙を出した翌日の午後、知らない人たちがわたしの家を訪れた。まるまる太った女性と痩せて背の高い女性、白髪なのに顔に全く皺のない男の人と、父に少し似ている人、それから今、わたしの前に座っている男性だ。

 彼らはわたしの親戚だとか、父の知り合いだとか、同じ一族のものだとか言った。名前は皆、びっくりするくらい長かった。わたしから話を聞くと、ねぎらいの言葉をかけたり抱きしめたり、ハンカチを眼に当てて泣いてみせたりした。それから白い布と箱を使って父の寝室に祭壇を作り、葬儀らしきものを済ませると、菓子の包みを置いて慌ただしく出て行った。父の身体はベッドの上に残された。
 わたしと、そして父の友人だという男性が家に残った。年齢はよくわからない。父と同じくらいにも、あの山の僧くらいにも、学校というものを卒業して間もないくらいの歳にも見えた。
「きのこ」わたしは問いに答えた。
「惜しい」とその人は言った。
「じゃあ樹」
「違うな」
 わたしは考え、思い切って言った。
「石」
「あたり」その人は手を打った。乾いた音が居間に響いた。
「石は生き物じゃないわ」わたしは言い返した。「食べ物よ、どちらかというと」
「食べ物でもないよ」彼は驚いた様子だった。「普通の人は石なんて食べない」それから訊ねた。「きみは食べたのか」
 わたしは頷き、彼に棚を見せた。父の愛用の棚には色とりどりの石が粉状に砕かれ、瓶に詰められ並んでいた。ラベルには父の字で、春、夏、秋、冬、雨、晴れ、雪、霙、何度以上、何度以下などと書かれている。物心ついたころからラベルの指示に従い、わたしと父はこの粉を毎日ひと匙飲んでいた。
「パンも肉もおいしいけれど、あれは舌を満足させるためだけのものだよ」と父はよく言っていた。「人間はほんとうはこうした石だけで充分生きてゆけるのだ」
 わたしはパンも肉もお菓子もおいしいと思うけれど、石にはかなわないと思う、と答えた。あけぼのの色の石はほのかに甘く、夜の色の石は苦みの混じった塩味で、青空色の石はよく熟れた果物に薄荷を混ぜたようなの味がした。
 お前は生粋の石の子だからな、と父は笑った。もっともわたしの身体は肉と血と骨でできているから、石から生まれたわけではないと思う。そう言うと彼は頷いた。
「もちろんきみは人間だ。ぼくはきみのお母さんのことを幾度も聞いているからね」
 それからその人はわたしの両親の話をした。永遠の命を求めた父と、普通の人間として生きたかった母の物語だ。わたしが生まれて間もなく母は父の家を出た。母はわたしを連れて行きたがったが、父が激しく拒んだために叶わなかった。
「きみは石で育てられたのか」彼は言った。「きみはいくつだ」
 わたしは窓の向こうを見た。
「前の前の、そのまた前の世界のことを覚えてる」
 わたしは足をぶらぶらさせた。父と同じ高さの椅子は高すぎた。それくらいわたしの身体は幼かった。長い命を得たものは歳をとるのもゆっくりだった。石が長く姿を変えずにいるように。

 そんな風に話しているうちにまた世界が滅んだ。わたしたちの家は虚空にぽっかり浮かんでいた。
 父の遺体は少しも悪くならなかった。匂いを発することもなかった。ただ、頬のあたりが少ししぼんだように見えるだけだ。
「おとうさんはいつ目覚めるの」とわたしは訊いた。
 葬儀に来た人も彼も、永遠の命をめざす仲間だった。もっとも彼は滅びをたった一度しか経験していなかったし、仲間の中で世界を超えて生きているのは彼と父と、そしてわたしだけだった。
「さあ、百年か二百年か」彼は額に手を当て、ため息をついた。「きみのお父さんは自分の身体を生きたまま石に変えようとしているんだ。過去に幾度か試した人はいるが、成功した話は聞いたことがない」
 父の瓶のあの粉を飲み続けると、夜のたびに身体の組織が石と置き換わり、最後の長い眠りの後、永遠に生きられるようになるらしい。
 百年でも二百年でも、五百年でももわたしには似たようなものだ。どのみち虚空に時間はなかった。
 世界が滅ぶさまを初めて見た日のことを、わたしは思い出していた。父の膝にのっていた。熱い涙がわたしの髪を濡らしていた。父が泣いたのは後にも先にもあれきりだ。父がわたしに見せたヴィデオはどれもあの、父が生身の身体で生きた世界のものだった。
 わたしには滅んで哀しむほどの世界はなかった。
「次の世界が始まるのはまだ先ね」
 言いながら椅子から飛び降り、キッチンに向かった。父の作り出したからくりと魔法のせいで、世界が幾度滅んでもこの家からは明かりもパンもお茶もミルクも尽きなかった。
「お茶を飲みながら待ちましょう」
 やかんを火にかけるとリビングの棚を探り、瑠璃色の砂粒の詰まった大きな瓶を取り出した。瓶にはこんなラベルが貼られていた。
「世界と世界の狭間の時」


FIN
Kohana S Iwana
2024/06/02