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Showing posts from July, 2024

おれの本屋

 今どき書店ははやらない。そんなことはおれだって分かっていた。特にこんな、小さくも大きくもない、適当に人がいて適当に都会に近く、適当に賑やかな中途半端な町ではね。  こんな町では、若い子たちは休みには鉄道を使って大きな町に繰り出すし、賑やかに見えてもほとんどの住人は仕方なく都会から移り住んだ人たちで、そうした人にとってこの町はただ寝起きするだけの処でしかない。そして、わざわざ金と時間を使って隣の隣のその隣の都会まで買い物に行くなんて面倒だ、という人は、大きな駐車場があって最新のものや流行りのものは何でも揃うショッピングセンターを使うのだ。  最近できたショッピングセンターは、そのチェーンの中では最も規模が小さいらしいが、それでも書店は入っていた。もちろん売れ筋のものはたいてい揃っている。週刊誌とかファッション誌とか、文学賞を取った作品とか、つい先週なんとかいうタレントが自分の愛読書として紹介していた小説とか、そういうのはね。だけどそれだけだ。そんな店はつまらないなあとおれは思う。でもけっきょくそこで食料品とオカルト雑誌を買ったのだから、つまらなくても便利だってことだ。  そのオカルト誌はメジャーなものではないから、置かれていたことにびっくりした。多分おれみたいな、どうしても毎月買うんだという人間が一定数要るんだろう。やはり大手はそうした情報をちゃんと掴んでいるのだ。  ない本だって注文すればすぐに届くらしい。そもそも最近はネット書店や電子出版も、認めたくはないが普通になってきている。どう考えてもお手上げだ。分が悪い。おれだってつい最近まで、自分の欲しい本はネットで買っていたのだ。  なのにおれは、幸先の良くないその書店という商売を始めることになった。理由は簡単だ。父が死に、母が病気で倒れたからだ。母は入院と治療を経て一命をとりとめたが、普通の人よりずっと早く介護施設入りになってしまった。  もしおれが結婚して、いい奥さんでもいれば家で介護できたんだろうか。そんな家庭はたくさんある。しかし、そんな大変な仕事を奥さんに任せていいものだろうか。おれはやはりプロに頼むほうがいいと思う。だけどけっきょくおれに奥さんはいないし、医者からも母親は施設で暮らす方がいいと言われていた。  長くなったがそういうことだ。つまり、親がやっていた書店をおれが引き継いだのだ。  両親ともにあの...

最初の言葉

 お師匠様はわたしに卵を渡して言った。 「これを孵せればお前は一人前だ」  そしてわたしは卵と、弟子のしるしの首飾りと、わずかな荷物とともに旅に出たのだった。  旅の果てに落ち着いたのは、小高い丘の上に建つ小さな丸木小屋だった。長く空き家になっていたらしく、小屋は荒れ果て、人の代わりに栗鼠や野ねずみやきつつきが棲みついていた。  中を片付け、塵を掃き出し、埃を拭き取り、窓に厚いガラスを嵌めた。動物たちは逃げ出して裏の林に新しい巣を作った。そのほうがあの子たちにも住み心地がいいと思った。  魔法を使えばなんでもできたが、困ればすぐに力を使うのは好ましいことではないと教えられていた。でも、今は特別なんじゃないだろうか。だってこの卵を孵さなくてははならないのだ。そのためには、下の村に降りて買い物をしたり、家事をしたり、よその人とおしゃべりをする時間も惜しかった。今回ばかりは魔法に頼っていいはずだ。  わたしの小屋は、だからいつも、何もしなくてもきれいだった。食べ物は料理せずともテーブルに並べられた。服は脱いだ途端、部屋の中をひらひらと飛び回り、その間にすっかりきれいになって勝手に畳まれ、衣装箱に収まった。お風呂の気持ちよさは捨てがたかったから、週に三度はバスタブを呼び出し、いい香りのする湯を満たした。  こんなことに魔法を使っていては疲れてしまうのではないかって? そんなことはない。これくらいはわたしにとってままごとのようなものだ。なんといってもあの師匠の弟子なのだから。  けれどもわたしは弟子失格だった。卵を孵すために、あらゆることを試みた。話しかけたり、温めたり、一緒に眠ったり、叩いたり、転がしたり、最後には癇癪を起して卵を床にたたきつけもした。でも、卵はびくともしなかった。真っ青な丸い卵は、昨日生まれたばかりのようにざらざらしていた。白や草色の模様は濃くも薄くもならなかった。  荷物の中には修行について書き留める日誌があった。分厚い帳面はほとんど埋まっていた。お師匠様のところに弟子入りした日、真っ先に与えられたものだった。わたしは家から持ってきたペンを使い、小さな文字で、その日習ったまじないの言葉や、しるしやしぐさを書き込んでいた。最初に習った言葉は一番大切なもので、時の満ちるまでは使ってはいけないことになっていた。でも、その時がいったいいつなのか、お師匠様は教えて...

 わたしとジョノは同い年で、誕生日もたった三日違いだった。  わたしたちは同じ町の同じ通りの、崩れかけた塀を挟んだ、よく似たつくりの建物で生まれ育った。わたしの寝室の窓は、彼の部屋の四角い窓とぴったり向かい合っていた。  小さいころからジョノは少し変わっていた。えんじ色の屋根の駅舎に一日二回列車の停まるひなびた町で、たぶんいちばん頭のいい子供だった。  といっても、話し上手なわけでも機転が利くわけでも、いかにも利発そうにはきはきと受け答えができるわけでもない。むしろジョノはその逆だった。声はこもって軽いどもり癖があり、何をさせてもおそろしく不器用だった。そのために叱られている間にさえ、あらぬ方を向いて考え込む癖があった。そんな彼は始終周囲の大人を苛立たせていた。  この町で、ジョノはどちらかというと馬鹿で役に立たずの嫌な子だった。ただ、学校の成績がとてもよかったのだ。  町には学校がひとつあった。かつては兵舎だったとも牢獄だったとも言われている、古い石造りの建物を利用したものだった。少しも学校らしくなかったけれど、そこでは町のすべての子が――裕福でなくても物覚えが悪くても、本人にまったくやる気がなくても――ひと通りの教育を受けられるようになっていた。  ジョノの頭の良さは抜きん出ていた。彼は他の男子のように、机の下で蛙やのねずみをつつくことはなかった。解答欄を適当に埋め、見返しもせず、傷だらけの机に落書きをすることもなかった。はにかみながら、幾度か見せてくれた答案用紙はすべての答えに赤い丸がついていた。  わたしの丸は大抵はふたつだった。ときにひとつだったり全部バツだったり、ごく稀に三つに増えることがあったが、四つ以上になることは決してなかった。  わたしはそれを恥ずかしいとは思わなかった。ああした勉強がいったい何の役に立つのか、全く理解できなかった。他の子たちも両親も、わたしと同じ考えだった。サインができて、簡単な計算ができればたいして困ることはない。手紙が来れば斜め前に住む字の読める年寄りに、返事を出したければ代筆屋に頼めばいい。学問とかいうよくわからない大層なものは、道もないほど建物のひしめく遠い街の、偉い学者さんに任せておけばいいのだった。  でも、そう考えない人が少なくともひとりいた。  わたしとジョノが十三の夏の終わりにやってきた、新しい先生だ。濃い金髪...