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Showing posts from August, 2024

春を呼ぶ人

  窓から遠くに光が見えた。あの下でまた大勢の人が傷つき、殺されたのだと思った。たった一度の閃光と爆音でいったいどれだけの人が死ぬのか、わたしには想像もつかなかった。    わたしは安全な場所にいた。お前さえ助かればこの国は続くのだと、常に言い聞かされていた。この国で最も地位の高い人間、つまり国王のたった一人の子だからだ。  しかし、そんな実感は少しもなかった。きっと育ち方が悪かったのだ。父が母をそう責める声を聞いたことがあった。  わたしは王と王妃を両親に持ち、貝殻になぞらえられる宮殿で十二歳まで暮らしていた。  わたしの国は長い間、安全な場所とはいいがたかった。遠い海の向こうの人々から見れば、ふたごのように似た隣国と、始終争いを繰り返していたからだ。  わたしが五歳の時、その国との間に稀少な金属が採れる鉱山が発見された。その金属は光にかざすと青みがかった虹色に輝くのだが、尊ばれるのは美しさのせいではなかった。この鉱山のために争いはさらに激しくなった。  諍いの種は挙げればきりがなかった。言葉も習慣も顔の造作も肌の色も、似ていれば似ているだけ憎悪のもとになった。  わたしたちの国は古く、建国の歴史は数千年の昔にさかのぼり、厳しい自然の中で独特のな文化を育んできた。宗教も言葉も唯一無二のものだった。もしもよく似た文化や宗教を持つ国があるとすれば当然のこと、われらの国から盗んだのだ。父も祖父も事ある毎にそう言っていた。  けれども母は違った。母はこの国を一度も出たことはなかったが、女としては珍しく学のある人だった。王に真っ向から反対することはなかったが、代わりに幼いわたしを膝にのせてお話を聞かせてくれた。  中でも特に気に入っていたのは、海や山の向こうに住む人々の崇める神さまの話だった。神さまはひとりではなく、動物の形をしていたり、人間よりはるかに戦争が好きだったり、年に一度集まって酒盛りをし、恋をしたり羽目を外して世界を壊しそうになったり、ときに人間に騙されたりした。絶対的な支配者で創造者でもあり、厳しい二十五の戒律を守れる者にのみ楽園を約束し、王を通して地の人々に戦いを起こさせる自分の国の神よりも、こうした人間臭い神々のほうがわたしには好ましかった。  次に興味を惹かれたのは四季、つまり、春とか夏とか秋とか冬というものだった。  わたしの国には夏しかなかっ...

春のあと 

 戦争は終わった。少なくともそう言われていた。そんな言葉を聞いたような気がした。そうだ、ラジオの声がそう告げていたのだ。  しかし、聞き間違いかもしれなかった。電波が弱いのか、なんらかの妨害を受けているのか、ラジオは雑音だらけだった。それに、長く激しい戦いの終わりを告げる声は奇妙にたどたどしく、ろれつが回っていないように思えた。  この放送は敵(とはいったいどこの誰だなのだろう)の工作で、戦意を削ぎ、安心させたところでとどめを刺そうとしているのかもしれなかった。  だから誰もラジオの言葉を信じなかった。  ラジオは信じられなくとも、絶えず注いでいた火の玉がやんだのは確かなようだった。大地を揺るがす爆音や、空を割く雷に似たびりびりという音も聞こえなかった。  子どもは身じろぎし、ラジオを点け、蜂の巣に似たスピーカーに耳を当て、信じがたい言葉を聞くと、すぐに消した。替えの電池はなかったから、大切に使わなければならなかった。  電池だけではない。食べ物も水もなかった。数日前まで非常用のビスケットが入っていたはずの缶を持ち上げ、逆さにして振った。昨日は甘じょっぱい粉が膝の上に落ちてきたのに、今はそれさえなかった。諦めて瓶を唇に当てた。舌の真ん中に霧雨よりも小さな雫がぽたりと垂れた。  それからまた、毛布とも上着ともつかないぼろきれにくるまり、丸くなった。あと少ししたら誰かが食べ物を持ってきてくれるはずだと思った。今迄そうだったように。でもそれが誰なのかも忘れてしまった。  そうして長い時間が経った気がした。喉は乾きでひりひり痛んだ。腹は空腹のため、絶えずなにかに殴られているようだった。乾いた唇を舐める、その舌にさえ水けがなかった。  大きく息を吸った。よろよろと立ち上がり、布切れを身体に巻き付けた。それでなにかを避けられるとも、なにかから護られるとも思わなかったが、少なくとも気持ちは落ち着いた。  壁に手を当て、這うようにして入口のほうに進んだ。上り階段があった。そうだ、この階段を誰かに担がれて降りてきたのだ。身体の大きな人だった。その割に声の高い人だった。掌に、星のような形の大きな傷があった。知らない言葉を話していた。だから最初は怖かった。違う言葉を話す人は、自分たちを殺しに来る怖ろしい人だと教わっていたから。  しかし、そうはならなかった。その人は布を敷き、子ども座らせ...

誓い

   そのノートを見つけたのは学校の、図書室の脇の小部屋だった。  わたしは十歳だった。なんとなく自分の毎日に、生きづらさというものを感じていた。  生きづらさなんて、今は眼にしない日はないくらいありふれた言い回しだが、当時はそんな言葉は使われていなかった。もし口にしたとしても首を傾げられるか、笑い飛ばされるか、こんな豊かで平和な時代に生まれていったい何を言っているの、とお説教をされるのがおちだった。  わたしの母の子供時代は、食べるものも着るものも不自由していたと聞く。戦争が終わって間もないころで、母の父、つまりわたしの祖父は戦地から戻るとすぐに、見よう見まねで農業を始めた。ヒヨコを譲ってもらって養鶏もやってみた。当然のことだがうまくいかなかった。売り物にはならなくても自分たちで食べるぶんには充分だったから、それでも恵まれていたと母は言った。 「夏はスイカばかりでね、それが全然甘くなくて、水っぽくて」 「サツマイモってね、お前、おいしいと思うでしょう。スイートポテトとか大好きでしょう。でもねえ、毎日それしかないと飽きるのよ。二度と見たくないと思ったくらい」 「じゃがいもは飽きなかったわねえ、毎日食べてもおいしかった」  更に祖母は戦争を直接体験した人だった。ごく短い間だったけれど、看護師として戦地に行っていたのだ。  当時、祖母はまだ十七だった。そのために戦後は口さがない噂に悩んだ時期もあったようだが、じっさいには仲間の兵隊さんたちに妹のようにかわいがられていたらしい。そこで出会ったのが九歳上の祖父だった。ふたりが仲間に祝福されてささやかな結婚式を挙げてすぐ、戦争が終わった。  ふたりは父の故郷の町で土地を分けてもらい、自分たちで家を建てた。子どもは六人生まれたが、ひとりは栄養不良で死んでしまった。わたしの母は三人目の子供だった。祖父は母が大学生のとき、無理がたたって急逝したから自分は会ったことはない。  そんな母や祖母からみれば、わたしの生きづらさなんて大したことがないに決まっていた。だから誰かに相談しようとは思わなかったし、相談してどうなるとも思えなかった。  わたしは本が好きだった。学校の図書室に毎日のように通っていた。母校には戦後間もなく建てられた旧校舎と、その後増築された新校舎があった。新校舎には一般教室と理科室や家庭科室。小さな旧校舎には職員室...

 そのカプセルを見たとき、ぼくはある物語を思い出した。  竹から生まれた美しい娘が求婚者たちをしりぞけ、月の世界へ帰ってしまう話だ。彼女は月の人だった。  その話を初めて聞いたとき、ぼくはまだ本物の竹を見たことがなかった。恋や結婚は大人の世界のものだった。月はすでになかった。代わりに空には夜も昼も、ぼんやりとした虹色の輪が掛かっていた。  まだ夜空に月が輝いていて、まるまる二十八日かけて痩せたり膨らんだりしていたころ、ぼくは家族と、丘の間に開かれた小さな町に住んでいた。はるばる都会から来た人が、時を何百年か遡ったと錯覚するような、のんびりした処だった。  丘の向こうのそのまた向こう、世界の果てにも思われる処の出来事は、ドラマや映画と変わらないように思えた。飢餓も戦争も災害も、ぼくたちの住む町には関係のないことだったし、同じ星に住む仲間が次から次へとロケットを打ち上げ、ぼくが生まれるずっと前に別の星に移住していたなんて、いばらの城で眠り続けるお姫さまと同じくらいお伽話めいていた。  ぼくたち家族の住む二階建ての家の近くには公園があった。あずまやや花壇や池の散らばる敷地の一角には、東洋の、竹ではなく笹が植えられていた。うす緑の、茎とも幹とも呼びがたい胴には昆虫を思わせる節があり、長い葉は風が吹くとさらさら鳴った。  三歳下の妹は笹の音が好きだった。散歩や買い物の途中、あの、川のせせらぎか雨のような音が聞こえると足を止めた。「公園を抜けて帰ろうか」と訊くと、繋いだ手をぎゅっと握って頷いた。  栗色の髪をした眼の大きい、無口な子だった。笹の音と、それからお話を聞くのが好きだった。  竹の中で背の低いものを笹と呼ぶのだ。そう教えてれたのは、ぼくに竹から生まれた娘の物語を教えてくれた女の子だった。彼女は、竹のごく若い芽はとても美味しいのだとか、笹の葉を煎じたものは薬になるのだとか、洒落た店では竹の濃い緑の茎を食器として使うのだとか、そんな話も聞かせてくれた。  月の人なのに地球の竹の中から生まれ、月に帰ってしまう娘の話は何度聞いても飽きなかった。妹にも聞かせてやりたかったが、家族もあの町の友達も近所の人も、この世のものではなくなっていた。家は潰れ、公園はねずみ色の更地になった。あの笹は根も残さずに焼き尽くされたにちがいなかった。  そんな話は実は珍しくない時代だった。ぼくの町が...

眼鏡

  初めて眼鏡をつけたのは十三歳の初夏だった。  本当は嫌で仕方がなかった。当時、眼鏡はいじめやからかいの原因のひとつだった。眼が悪いと言われることは、大袈裟に言えば死刑宣告に等しかった。だから眼の悪い子は、必死になって検眼表に並ぶ文字や、マークの向きや絵を覚えた。子供向きの検眼表には、動物のシルエットを使ったものがあった。  もっともわたしにはそこまでの根性はなかった。せいぜい眼を細めたり、見開いたり、ぎゅっと睨みつけるように力を入れたりするだけだ。よく見ようと焦るあまり、前かがみになって注意されたことも一度や二度ではない。  それでもついに、近視というものに屈服する日が来た。仮性近視ではなく近視である。小さいうちの仮性近視は治る場合もあるそうだが、自分はそのまま本式の近視に移行してしまったのだ(さだかではないがそう聞いた)。そのため眼鏡を作らなくてはならなくなった。   父に連れられ、渋々街の眼鏡屋に行った。看板に巨大な眼鏡が掛かっていて、夜になると虹色の光がくるくる、ちかちかと点滅するのだ。来たのが昼間でよかったと思った。  父はというと、所謂男親のデリカシーのなさからくるものなのか、それとも普段から若干身勝手さが目立つ性格のせいか、いやにうきうきしていた。今日は二本で割引のセールをやっているから、自分の替えの眼鏡も買おうというのだ。わたしはそんな父に絶望しながら、うす青い硝子の自動ドアをくぐった。  お決まりのグリーンの鉢と、金色のライトに照らし出されたガラスケースがわたしたちを迎えた。学校の集団検診で視力はちゃんと分かっているのに、念のためにもう一度検眼をしましょうと言われ、店の奥に案内された。父は既に銀や茶や黒い縁の眼鏡の列に張り付いている。  検眼師の資格を持つ店員は、父より十近く若い男性だった。顔は細くて額は広く、ゆるく巻いた色の薄い髪のせいで日本人離れして見えた。よく似合う銀ぶちの眼鏡をかけていた。細い棒や、片方の眼を隠す匙のような黒い道具を取り出す仕草は手品師を思わせた。  検眼表には文字と、八方のどこかが欠けた輪っかと、そしてシルエットが並んでいた。男性はひと通り輪を試し、次にシルエットを指し示した。 「ええと」わたしは焦り、口ごもった。「わかりません」 「ふむ、ではこれは?」  沈黙のあと首を傾げる。「わかりません」 「じゃあこれ」 ...

父の部屋 (前)

 父が死んで十日も経っていなかった。  その頃、わたしは死というものをよく分かってはいなかった。  覚えているのはふいに閉ざされた父の部屋と、こわばった顔で部屋べやを行き来する見知らぬ人びと、そして慌ただしく運び出されたなにか大きな長いもの。  触れられそうな静けさに閉じ込められた長い夜、そっと差し入れられた温かいミルクと、林檎のジャムを巻いた甘いパン。  それからある朝、表門にぴかぴかの車が幾台も乗りつけた。かろうじて顔を覚えている従兄姉たちや、会うたび違う人のような気がするおじやおば、銀の髪を高く結った、たしかにどこかで見たことのある老婦人が、花のまどろむ庭をぞろぞろと歩きまわった。皆、カラスか夜か、死そのもののように真っ黒い服を着ていた。普段うるさいくらいに啼きたてている鳥たちが一斉に口を噤んだ。  わたしもまあたらしい黒いワンピースを着せられ、車のひとつに押し込まれた。連れてゆかれたのは河の傍に建つ、大きな灰色の建物だった。ドーム型の天井近くに窓が切られ、サファイアを嵌め込んだような空が覗いていた。教会に似ていたけれど、わたしの一族に神に祈る習慣はなかった。  よく見れば色合いも織り方も微妙に異なる喪服のひらめきの間に、誰かが横たわっていた。  お父さんによく似た人だ、とわたしは思った。髪は張りを失い、肌は粉をまぶしたように白かった。女性のように長いまつげが重く伏せられ、うす青い唇には微笑みが浮かんでいた。  父が好んだ鈴の形の花を渡され、深い眠りについているその人の胸に置いた。奇妙な形に組まれた指に傷はなかった。父は一年前、庭で左の中指を小枝に引っ掛けてぎざぎざの傷をつくっていた。  だからこの人は父ではないとわたしは思った。  しかし、それきり父はいくら待っても戻ることはなかった。      †††  あの日、わたしが父の書斎に忍び込んだのは、以前読んでもらった本をどうしてもまた見たかったからだ。  幼いわたしが両手で抱えて持ち上げるのも難しいほど、大きな厚い本だった。葡萄酒色の表紙に金で蔓薔薇模様が捺されていた。細い葉脈に彩られた葉や、重たげに花弁を重ねる花や、仔猫の爪を思わせる棘の間に、タイトルの飾り文字がだまし絵のように隠されていた。 中にはわたしには星の数ほどにも思える物語と、ひとつの物語につき数枚、色刷りの美しい画が収められていた。  父の書斎...