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Showing posts from October, 2024

眠れる森の

  子どものころから時折同じ夢を見ていた。  それほど頻繁ではなかった。せいぜい週に一度くらいだ。もっと間が空いて、月に一度のこともある。いや、これは普通の人にとってはかなり頻繁なのかもしれない。でも、自分は夢をほぼ毎晩見るので、これでも時折という気がしていた。  最初にその夢を見たのは五歳くらいの時だった。小学校に上がる前だ。  わたしは夢の中で、黒い森の前にいた。森はいばらでできていた。いばらは煤を浴びたように黒ずんでいた。わたしは腰から剣を抜き、いさましく藪を払った。森の向こうには、やはりいばらに覆われた城の尖塔が覗いていた。月の光を受けて、塔の先はオパールのようにゆらゆらと輝いていた。  あまりにも生々しく、小さな女の子が見るには不自然なほど禍々しく、しかし美しい夢だった。だからわたしは、母が焼いてくれた厚いトーストの角を指先でつまみながらその夢の話をした。けれどもわたしの言葉が拙かったせいか、大人にとってはいかにも童話めいたものとしか思えなかったのか、キッチンで忙しく父と自分の珈琲と、わたしのホットミルクを用意している母は、こう答えただけだった。 「あら、この前連れて行った、いばらひめのお芝居のせいかしらね」  両親は教育熱心で、子どもに対するお金の使い方がいっぷう変わっていた。特に父は、流行のおもちゃやかわいらしいキャラクターのついた服を与えるよりも、豪華な児童書をプレゼントしたり、子供向けのお芝居やクラシックコンサートにわたしを連れてゆくことを好んだ。だから父は得意げに新聞をめくった。 「おまえは感性が豊かだからな、将来は詩人か作家になるかもしれないぞ」  二人の態度にわたしは軽い不満を覚えたが、黙っていた。その日は幼稚園で山歩きをすることになっていたので、母はいつもより大きなパンとチョコレートと、パック入りのオレンジジュースを持たせてくれた。  両親と一緒に車に乗る頃には、わたしは夢を忘れていた。  夢の中で、わたしは少しずつ森にの中に分け入った。いばらは容赦なくわたしに棘を向けた。時折群れを成して咲いている、黒い、薔薇に似た花は、不快なにおいを放ってわたしに吐き気と眩暈を起こさせた。ときには切り裂いた大きな株の向こうから、猫とも狼とも鷲ともつかない獣が現れ、わたしの胸元を爪か牙か嘴でえぐった。  そんな恐ろしい夢のあとには、どうしたわけか身...

 その時計は、物心ついた頃からわたしのベッドの枕元に置かれていた。子どもには大きすぎる祖母の形見のベッドの脇の、ものものしい彫刻を施した低い卓の上だった。  奇妙な人の姿をした、陶製のの目覚まし時計だった。先に銀の星のついた、紫のとんがり帽子をかぶっていた。まるまるとした身体をさらに大きく見せる服は赤と青のだんだら模様で、金色の靴の先はくるりと巻き、笑うというより無理に引き上げられた口は、紅で赤く縁取られていた。  突き出た腹には丸い文字盤がはめ込まれ、その針の、長い先には藍色の烏が、短い先にはオレンジの猫が留まっていた。烏と猫は始終追いかけっこをしていたが、いつも烏が優勢で、日に幾度も猫を追い越してはまた追いかけていた。どう見ても、古い家具には不釣り合いな時計だった。  文字盤を抱えた人物がピエロだと気がついたのは、週に一度入ることが許されている図書室で、今にも動き出しそうにいきいきとした画の添えられた、古い物語を読んだからだ。その本はこの屋敷ができるずっと前に刷られ、今では世界に一冊しか残っていない。  ピエロの時計も同じくらいに古いのだ。ピエロと呼ばれた男たちが生きていたのはきっともっと前だろう。母の護る灰色の屋敷の、書棚が回廊をつくる図書室の隅の薄暗がりでわたしはそう考えた。 「あの時計」ピエロという言葉を覚えた日の夜、母に訊いた。「ピエロだったのね。いつからあの部屋にあるの」  塔のように高く切られた窓の向こう、藍色の空を背に深緑の影を落とす梢越しに、満月が金の光を零していた。  わたしたちの夜は遅かった。わたしたちの屋敷では、昼よりも夜のほうが長かった。母は黙ってミルクを温め、月そっくりのビスケットを添えて言った。 「ピエロかなんてわからないわ。あの部屋にいつからあるのかもわからない」 「でも、おばあさまがわたしくらいの頃には、もうあったのでしょう」  母は頷き、自分のブランディ入りのミルクをひと口飲んだ。  わたしの部屋は、祖母が子ども時代を過ごし、わたしたちの時間でほんの少しの間屋敷を出たあと戻ってきて、それから死ぬまでを過ごした処だ。  わたしがおばあさまと呼んでいる、記憶の彼方に静かに座る儚げに痩せたその人は、ほんとうの祖母ではない。実の祖母の妹だ。実の祖母は母を産んでまもなくこの屋敷を飛び出し、それきり戻ってこなかった。  実の祖母についてはそ...

魔女の夢

 魔女の家は、けっして明けることのない国の、黒い森の奥にあった。  黒く塗られた古い館で、どの部屋にも先祖の魔女の魂が暮らしていた。みなこの国のこの森の、この屋敷で生きて死んでいった者たちだった。魔女の魂は天に昇ることがなかったから、死後も屋敷に留まるしかないのである。  風が吹くと木々が揺れ、窓がみしみし鳴り、その奥でぼんやりとした白い影が、呻いたり囁いたり古い歌をうたったりした。  自分も死んだらそうなるのだと魔女は思った。もっとも、魔女の寿命は普通の人間よりずっと長かった。そのぶん老いた姿で過ごす時間も長くなるが、魔女の美しさの基準は人間とは違っていたから別に気にもならなかった。それどころか早く立派な魔女になって、高名な御先祖様のように書庫の本に書き込まれたい。それが魔女の望みだった。  その本は魔女が死ぬたび新しいページが現れ、青い、流れるような字で文章が浮かび出る魔法の書物だった。  大抵の魔女は『魔女暦何年何月何日生まれ、何年何月何日没 これこれの薬草から今までよりも高い効果の期待できる媚薬をつくりだした』などと書かれるくらいだったが、国をひとつ滅ぼすとか、人心を惑わして革命を起こさせるとか、その革命から美しい双子の王子と王女を救い出すとか、そうした仕事をするとたくさんのページを割いてもらえるのだ。   もっとも一番長く書かれているのは世界の最初の魔女についてで、彼女については最初の章がまるまるひとつ割かれていた。  人生を終えた魔女には心地よい部屋が用意されていた。屋敷は魔法でつくられていたから、部屋は無限に現れることになっていた。例の本も、どれほどページが増えても、持てないほど厚くも重くもならなかった。  その日、魔女は朝食のコーヒーと菓子パン(どちらも魔法で出したものだ)を食べながら、今日はなにをしようかしらと考えていた。悪くなった脚によく効く薬草の勉強を終えたばかりだったから、たまには何もせずぼんやり過ごすのもいいと思った。そこで、コーヒーとパンの残りを盆にのせて屋根に上ることにした。  屋根の上は代々の魔女のお気に入りの場所だった。つやつやした瓦は月の光を受けると虹色に輝き、三角屋根をかぶせた箒置き場には、普段使いのものと、雨の日用のものと、集会用のものとがきちんと手入れされて立てかけられていた。  昇ったばかりの満月を眺めながら(ここは夜の国...

魔女たち

  女の子はひとり、通りを歩いていた。お供は人形ひとつだけだ。  女の子は家を飛び出したところだった。お母さんはいなかった。お母さんは、女の子が五つの時に病気で死んでしまった。だから女の子が覚えているのは、白くて細い、骨の浮いた手だけだった。  女の子の思い出の中のお母さんの手は、普通に言われているお母さんの手とずいぶん違っていた。触るとガサガサしていたし、パンの匂いも香水の香りもしなかった。お菓子をくれたり、いいことをすると撫でてくれたり、悪いことをしたからと言ってぴしゃりとぶつこともなかった。大抵は、身体の形に膨らんだ布団の脇に置かれていた。たまに胸の上で組まれると、女の子はお母さんが死んでしまう気がして怖くなった。  女の子が恐れていた通り、お母さんは死んでしまった。手をどこに置こうといずれは死んでしまう運命だったのだ。お母さんはそれほど重い、治る見込みのない病気だった。治療も命を延ばすというより、苦しみを和らげるためのものだった。  お母さんの葬儀にはたくさんの人が集まった。女の子は黒い服を着て、泣きもせずに椅子に座っていた。その様子が人々の涙を誘った。中には感極まった様子で抱きしめる人もいた。その人はお母さんの親友だと名乗った。そして二年後、お母さんの一番の友人だというその人は、女の子の新しいお母さんになった。  新しいお母さんは、女の子の眼にも美しい人だった。もっとも、ほんとうのお母さんとどちらが美しいのかは、女の子にはわからなかった。女の子のほんとうのお母さんはずっと病気だったからだ。  女の子の思い出せる限りの最初の記憶は、お母さんが病院のベッドに横たわり、お父さんに何かを打ち明けているというものだった。お母さんが泣き出すと、お父さんは慌てて女の子を病室の外に出した。  女の子は白い壁に囲まれた、蛍光灯が点々と並ぶ廊下でじっと待った。ドアの向こうからはぼそぼそという声が聞こえたが、内容までは聞き取れなかった。聞き取れたとしても難しい話だから、物心ついたばかりの女の子には理解できなかったに違いなかった。  その日、お父さんはキッチンのテーブルに大きな菓子パンとパックのミルクを置き、これを食べなさいと言い残して寝室にこもってしまった。女の子は椅子によじ登り、ミルクを少しずつ飲みながらパンを食べた。ミルクは甘く、パンはもっと甘かった。女の子が大好き...

カフェ

 草原に樹が一本そびえていた。  大きな樹だ。きっと何百年もここにいて、あたりを見守ってきたのだろう。  長い夏には固い草が膝近くまで伸び、短い冬には茶色く乾いた地面に枯れた草がしがみつく、そんな草原だった。思わず摘んでみたくなるような美しい花は見当たらなかった。時折褐色のウサギが草の間に短い耳を覗かせた。この草原のウサギは耳の先がざぎざで、人をひっかくことがあった。  草原には道がひと筋通っていた。どこかに続くわけではない、ただ、褪せた原っぱを巡るだけの道だった。  道沿いには大きな川と、青い湖と、そしてこの樹があった。わたしたちは道に沿って、徒歩で、押し車で、ガタガタの馬車で移動した。  わたしたちは、季節や気分や、その時の都合に合わせて、川に住んだり、草原に住んだり、湖に住んだりした。川と湖では魚が釣れたし、草原では、特に秋には太ったウサギを捕まえることができた。川沿いの藪では春の終わりにイチゴが採れたし、湖をぐるりと取り巻く木々が落とす実をすり潰して、捏ねて焼けばなかなかおいしかった。だから、怠けず、文句を言わず、助け合えば飢え死にすることはなかった。  誰かをいじめたり、さげすんだり、独り占めする人はいなかった。のこぎりや鉈や、すり鉢やのし棒を持っている人はみな、使いたい人にいつでも貸してあげたし、竈を作るのが得意な人は、困っている人を見ればずぐに石を積むのを手伝ってあげた。  わたしの持ち物は大きな両手鍋だった。自分の頭がすっぽり入るほどの深い鍋で、まるまる太ったウサギでも、湖で釣れる一番大きな魚でも、そのまま煮ることができた。もっとも魚は焼くほうがずっとおいしかったから、鍋で煮るのはもっぱらウサギばかりだった。  わたしの鍋と、ハルの作った竈と、誰かが集めてきてくれた小枝や乾いた草と、これだけは大抵の人が自分のものを持っている火打石を使ってゆっくりと煮たウサギは本当においしかった。わたしも欲しい人には誰にでもわけてあげた。  わたしたちがこんなふうに助け合うのには理由があった。  わたしの祖母がまだ若く、母が赤ん坊だった時に、大きな戦争があった。空から爆弾が降り注ぎ、何の罪もない人々が逃げまどった。ごく普通の家の玄関が突然破られ、銃を持った恐ろしい男たちが入ってきて、お年寄りも赤ん坊も構わず皆殺しにした。  こうしたことは、あの国でもこの国でも起きた。...

かかし

 かかしが化粧をしていた。  ふしぎだ、と子どもは思った。  そのかかしの立つ畑の傍を、子どもは毎日歩いていた。朝には細いあぜ道を抜けて学校へ行き、石造りの校舎で午前中だけ授業を受けた。昼近くになると同じ道を辿って家に帰り、両親と一緒に乾いたパンと、たまにチーズのつく昼食を摂った。午後は陽の落ちるまで母親の手伝いをした。  子どもはそれが嬉しかった。学校はあまり好きではなかったからだ。  友達と騒ぐのは楽しかったし、先生はよくお話を聞かせてくれた。しかし、村に子どもは少なく、その中で学校に行く子は僅かだった。お話なら向かいのおじいさんの、気まぐれな妖精や醜い魔女や美しい王女の出てくる昔話のほうが、正しい人が報われて悪人が罰せられるばかりの先生の話より、ずっとずっと面白かった。  両親も、ほんとうは子どもを学校になど行かせたくはなかったのだ。ただ、子どもが物心つく前に肺炎で死んだ、そのために顔も覚えていない祖母の遺言で、申し訳程度の登校をさせているのだった。  字を覚えて、読んだり書いたりすることがなんの役に立つのか、子どもにはわからなかった。計算なんて、指を使って簡単な足し算と引き算ができればいいと思っていた。  じっさい、子どもの母親は自分の名前しか書けなかった。それでも年に二度のお祭りの日にはおいしい菓子を焼くことができたし、端切れやあまり毛糸を使って虹色のクロスやひざ掛けをつくることもできた。重ねた布切れをくるりと巻いて薔薇の飾りをこしらえるのに、学校の勉強はいらなかった。  父親も似たようなものだったが、広々とした立派な畑を持っていた。父の畑は毎年見事な金色に染まり、家畜もよく肥えていた。それなのになぜ自分たちのお腹にはほんの少ししか入らないのか不思議だったが、世の中とはそうしたものであるらしかった。 「今に感謝することだ」くず肉のシチューと硬いパンの食事の前の祈りの後に、父が必ず言う言葉だった。「そうすれば、お偉い方がみんなよくしてくださる。世の中にはもっと貧しい人が山ほどいるんだからな。下手な考えは持たないことだ」  子どものたったひとりの兄は、役場の前の貼り紙はもちろん、本まで読める人だった。父親に怒られながら毎晩のようにランプをともし、テーブルに肘をついて眉間に皺を寄せていた。子どもが兄について覚えているのは、高い鼻が落とす影と、黒い眼に映るランプの...